ヒロポ、ミシガンを語る 『ロッキンポン2070年8月号より』

〓『ロッキンポン2070年8月号』巻頭特集〓
かつて東京アンダーグラウンドから突如現れたバイナリキッド!低迷した日本の音楽シーンをぶち壊し、世界に羽ばたいたミシガン・ザ・キッド・プロジェクトの中心人物であるミシガンを元メンバーのヒロポが語る!


ヒロポ(以下略):
えぇ、そうなんです。ミシガンさんが初めて歌詞を書いたのは『月見島はまだあるか?』なのですが、その前に『飛行機ギューン』という曲の歌詞を3分の2くらい書いたのが、事実上初めての作詞だったのだと思います。
それまでは歌詞の書き方が分からないということで、スタジオでミシガンさんが作ってきた曲を聴きながら僕が書いてましたね。
『名前ファンファーレ』の仮歌なんて、彼が持って来たの酷かったですよ。

「へぇ、そうなんですか。例えばどんな?(インタビュアー)」


 僕の名前はガルマ
 君の名前はP-コスモ

この部分しか出来てないって言われた時は驚きました。正直笑いましたね。アホかと。あ、こんなこと言ったら干されちゃうかな(笑)

「載せないので好きに喋って下さい。しかし、今では考えられないことですね。ところでガルマと言うのはガンダムだと分かるのですが、P-コスモと言うのは一体?」


ミシガンさんは当時「P-モデル」を「P-コスモ」と覚えていたんですよ。これも載せちゃだめですよ。ミシガンさんからプロデュースしてもらえなくなるんで。


「それは酷い(一同爆笑)」


『飛行機ギューン』は、彼と作詞をした最後の作品になりました。近所の「すき屋」で作ったなぁ。
 明日きみに会いに行く
 飛行機乗って 雲の上へ
呟く言葉目の前に
成層圏の向こう

飛行機に乗ってる感じの曲って言うので、こんな感じのをつらつら書いて渡したら、残りは自分で書いて来て下さいました。とても素敵な歌詞だなぁと感動しました。この曲は今でも好きですよ。


「では、最後に。ヒロポさんにとってバイナリキッドとは何だったのでしょうか?」


…はぁ、バイナリキッドはもう昔の出来事です。ブームだったっていうか。今にして考えると、全てはミシガン・ザ・キッド・プロジェクトの為にあったのでしょうね。60年も常に新しい音楽を作り出せる才能は彼しかいません。神様がいるとすれば、ミシガンさんに微笑んだんだと思います。僕ですか?いやぁ、あの時の事故で両手両足無くして、メガネが目に突き刺さらなければね。お陰でミシガンさんのプロデュースで世界にも稀な歌手になれたのですがね。


『飛行機ギューン』

明日、きみに会いに行く
飛行機乗って 雲の上へ

君の息の音を止めたい
呟く言葉 目の前に

僕は目を閉じて
それを見付けたよ
成層圏の向こう

ほら、ごらん 世界には 何にもない
昔、僕が言った通りだ






あー、長かった。
明日、九州へ飛びます。
それが言いたかっただけなのに。
画像は、残暑お見舞いです。

『画本宮沢賢次 雨ニモマケズ』(パロル社)より
この画本シリーズ最高にカッコイイ!