「アリとキリギリス、そしてコロナ」という話

眠れなかったので書き殴った。
 
 
 

「アリとキリギリス、そしてコロナ」

頭の重さに目が覚めた。
「さすがに疲れたな」
アリは数年前から世界的に流行の兆しを見せている新型コロナウイルス、COVID-19がいよいよこの夏、自分の所属するコロニーに近付いている事を受け、新型ウイルス対策室の主任を務めていた。
ウイルスの蔓延により人間社会はとうに終わりを迎え、地球はその歴史上かつてない繁栄(昆虫にとっての)を迎えていた。
澄んだ風、水、色とりどりの花、土の一粒一粒が、地球誕生以来、最高の輝きを放っていた。
しかし人間社会を駆逐した小さなウイルスはさらなる進化を遂げ、進行は遅いものの昆虫の世界を少しずつ蝕んでいるのであった。

「キリギリスのやつどうしてるかな」
親愛なるキリギリス。独裁的なクイーンにつかえるアリにとって、日々歌を創作し、精力的で明るく人望もあるキリギリスは憧れであり唯一のなんでも話せる友人であった。
「あんな事言わなければよかった。いや、でもあいつが悪いんだ。この状況を、危険性を分かってくれない。どいつも、こいつも!」

来たる流行病の蔓延に対して後手後手の対応を繰り返すクイーンは、アリの属する小さなコロニー内で絶対的な権力を持っていた。自分にとっても、他のアリにとっても唯一の母親であり、守るべき存在でだった。
そんなクイーンに対して、ある日アリは切実な思いをぶつけたのだ。
「コロナがすぐそこにまで近付いています。マスクも検査施設も足りません。はい、ですから食糧は十分に備蓄されています。クイーンのタマゴも順調です。しかしこの仕事は本当に今必要なのでしょうか? このままでは孵化のあと、幼虫たちを危険にさらさ…」
聞く耳もなかった。かつては人間からネコ、イヌ、ブタ、ウマ、他哺乳類へ経路を広げたウイルスは昆虫には感染しないであろうと、どこか楽観があった。しかし現実は残酷であった。この恐ろしいウイルスの流行によりクイーンはかつてのカリスマ性を失っていたが、かわりに一部の狂信的なアリ達によってその存在をさらに強くしていた。
「危機に備え、食糧を備蓄せよ。種を保存せよ」
これがクイーンからの指示であり、流行が収束するのを待つという方針だった。休業は許されず、しかもコロニー外ではウイルス感染者が徐々に増加しつつある中、感染の補償の目処もたたなかった。
なすすべのない状況に、アリは慰めを求めてキリギリスに連絡をとった。しかしキリギリスは笑って言うのであった。
「俺はやる。歌を歌う。お前もがんばれよ」と。
キリギリスにはキリギリスの仕事がある。しかし、今のアリにとって、この言葉は到底受け入れられるものではなかった。アリは思った。
「あいつはいい奴だけど、昔から合わない所もあった。やはり種が異なるもの同士、腹を割った話はできないものだ。このご時世に歌って過ごしているような種だ。あいつが自分を頼ってきても、何もしてやるまい」

数週間が経ち、状況はより深刻化していた。
当初想定していたよりもずっと早く、ウイルスはコロニーに襲いかかり、あろうことかクイーンに感染してしまったのだ。
「安全な部屋にいらっしゃったはずなのに、一体どこから感染したんだ!」
密閉したコロニーで生活している状況に、もはや感染源など確かめようもなかった。病床は足りず、働きアリの休憩室や兵隊アリのトレーニングルームも臨時の病室として利用されていた。タマゴが保管されている保育施設の感染は死守されているものの、次々と孵化する新しい命に、名前をつけている間もない程多忙を極めた。幸いにも食糧だけは潤沢にあり、しかし奪い合いの小競り合いが多発していた。少し前まで労働と食糧を分かち合い、時々の余暇にはリゾートへ連れ立った仲間達が、懐疑と謀略と感染の中、次々と絶命していった。亡骸は感染から回復した者によってコロニーから運び出されたが、中にはこの作業により複数回感染するものさえ現れた。弔いの儀式もごく簡易的なものとして形骸化され、風雨にさらされた亡骸はアリの目にも見えないほどのバクテリア達が分解し、次のコロニーへウイルスをばら撒いていく。かつてない絶望の日々を過ごしていた。

そんな中、患者達の間で、ある歌が流行りだした。キリギリスの新作であった。地獄をも上回るこの日々の中、キリギリスの歌詞とメロディが、患者達はおろかコロニー内の者にとって唯一心の支えとなった。
それはアリにとっても同じく、しかしアリにとっては悲哀を伴った。裏切りのようなあの態度、思い出すと
怒りに触覚が震えた。しかし震える触覚でアリは思う事があった。キリギリスが歌を歌うと言っていたのは、自分がこのコロニーを守ろうとしていた思いと同じなのではないだろうか。
アリはキリギリスの事を下積みの時代から知っていた。芸術を愛し、金はなく、苦労に苦労を重ねてやっと音楽で食えるようになった。そんなところでコロナが流行した。劇場に虫はなく、それでもキリギリスは歌い続けた。閑散とした原っぱに虚しく響く自らの歌声に、もうだめだ、と何度思っただろうか。
アリはそんなキリギリスが好きだった。キリギリス、君にもう一度会いたい。会って謝りたい。そして君の事が、君の歌が大好きだと伝えたい。もっとたくさんの虫達に君の歌が届いて欲しい。好きなんだ、君の歌が。

夏の終わり、南の海では巨大な熱帯低気圧が発生していた。



(つづくかも。最後はみんな助けたい)