■一つのバンドの終わりと始まり──「ドタマカチワルド」が今語る「バイナリキッド」 - インタビュー

「音楽で飯を食って行きたい」


漠然とそう考えた事があります。

「いっぱつどかんと当てたい!!!!」

けれど、僕にはそれは出来ないと分かりました。
プロになんて僕にはなれない。
つかなりたくねぇ。

今年、僕たちのバンド「バイナリキッド」を休止させました。
元々地元の高校で出会った茂平と結成した「その他」(そのほか、と読みます)にミシガンが加入して、他の人は知らないけど僕は、世にはびこるくだらんロックまがい野郎共はバカだと考え、これまでにない曲と歌詞とパフォーマンスで世の中をあっと言わせよう、と思っていました。

バンド「その他」は『北斗の拳』のケンシロウが抱える哀愁を歌ったり、生まれたての赤ん坊が「右の乳を吸うべきか、左の乳を吸うべきか」悩む歌を歌ったりしながらライブ中に料理をしたり、スーツを脱いだと思ったらブルマをはいていたり、メンバーが突然増えたり、顔をポスターカラーで塗りたくってさらに小麦粉被ったりしていたら地元の変なもの好きが集まるようになりました。

大学を卒業間際の2月に内定をもらった印刷会社に就職して、僕はひとり東京で、茂平とミシガンを待ちました。

ミシガンはバイト掛け持ちしまくったけれど、自給600円台の大分県から上京するのに一年かかりました。

茂平はなかなか来られないようでした。

営業部に配属された僕は朝6時に出社してフロアのデスク、電話機を拭いて乱れた棚を整えお湯を沸かしてから某社のプリンターの中身一式、「はじめにお読み下さい」や「簡単設置マニュアル」の見積もりを無数に書きながらシビアな納期と毎月1千万のノルマに苦しみ、客先、工場で毎日起こるクレームと日々の血便に対応し、23時に退社する生活を送り、バンドと今後の生活の資金を貯めていました。が、まもなくポッキリ折れました。

冬のボーナスをもらってすぐに「絵描きになる」と辞表を提出し、同期、先輩方から「あいつ大丈夫か!?」というありがたい言葉を頂戴した一身上の都合による退社劇でした。

「茂平とミシガンが来たら、バンドをやるんだ」



一つのバンドの終わりと始まり──
「ドタマカチワルド」が今語る「バイナリキッド」

唯一無二の音楽性でコアな人気をつかみながら、2010年5月末に活動を休止したバンド「バイナリキッド」。その中心メンバーでありほぼ同時期に「ドタマカチワルド」として活動を再開したヒロポとミシガンに、バイナリキッドの歴史、活動休止に至る真相、そしてこれからの活動についてインタビューを敢行。一つのバンドの終わりと始まりを、一緒に見届けてください。
(インタビュー:鹿島卓也<Asagaya/Loft A>)

●コチラで読めます●
http://bit.ly/e6SnPE

追伸

プロ=お金を得ることは大事なことです。
でも、もっと大事なことがあるのです。
それはどうやら「ロック」「パンク」「哲学」「芸術」「心」「真実」など人によってそれぞれ違う呼ばれ方をしているようですが、それって、まだ名前のない「何か」なんです。



・・・・・・こりゃ今日の日記は固いねw


メディアに売り込んだり取り上げられたりしているおいしいラーメン屋さんより、自分で発見したクセのあるラーメンの方が好き☆
って話です!!