■月刊じろう2015年1月26日、渋谷喫茶smile〜クドウヒロポ先生の作品が読めるのは少年ヒロポだけ!〜

次回作にご期待ください!
といいつつ、中途半端で打ち切られて終わっていったマンガのなんと多いことよ。
だけど僕に終わりはまだ来なかった。


ナリナリ君の次はねむねむおじさん(性別:女)のDJタイム。その間にセッティングを済ますヒロポ。次に演奏するんだ。ねむねむおじさんが僕の好きな「レジャー娘」をかけてる。
「暇〜ひ〜ま〜」
なんとも奇妙な歌詞の、ふっるーい曲だ。


アンプのセッティングは迷わない。ボリューム以外10にする。こうすれば汚い音がでる。まだ足りない。ファズを繋ぎ全部右に回す。試しに名前の分からないコードを鳴らす。酷く汚い音がでる。これでいい。これが僕の声に合う。今日のライブに一番ぴったり来る。後は叫び続ければいい。これで笑いたい人は笑ってくれるし、泣きたい人は涙が出るライブができる。
そのまますぐに演奏をはじめた。


ライブはあっという間に終わった。
ソロでやるために作った「しかくさんかく、んでもってまる」から演奏をはじめた。「もう死んでしまおう」と決めた時に作った歌だ。きっと君も同じだろうと思い込んで、「今」から逃れたくて時計をぐるぐる回す。そんな歌だ。どうしようもない気分で作って、いつもどうしようもない気分で歌う。
2曲目の「コンピューターオバアチャン」、3曲目はファミコンの曲に勝手に歌詞をつけて歌った「イーアルカンフー」。
4曲目は地元で親友とやっていたバンドの曲でバイナリキッドの持ち歌でもある「カロス」。19歳くらいの時に作った。「カロス」って何? 「カオス」じゃなくて? と聞かれるが古代ギリシア語で「美」みたいな意味の言葉。けれど、日本語にはぴったり来る言葉は無いように思う。強いて言えば「なんかスゲーいい感じ!」みたいなものだと思ってるけど学者に怒られてしまうなこれは。
5曲目には歌詞を書くのに3ヶ月、ピコピコ作るのにさらに3ヶ月もかかった復帰作「僕の朝」をやって、コメカ君とじろう君をステージに呼んだ。
今日のステージの最後にやる歌を一緒にやるためだ。


2008年にコメカ君と一緒に作った「天使で大地はいっぱいだ」という歌で、僕は歌詞を担当した。
子どもたちが真っ赤な海に次々と飛び込んでいく。すべての子どもが、列を成して自ら命を絶っていくのだ。けれど残り最後の1人だけは羽が生えている。男の子だ。彼には羽があったおかげで遠くへ飛んでいくことができた。僕は「イカロスみたいに落ちるなよ」と見送る。
7年間という時間を越えて、バンドが解散したもの同士のステージだった。ライブ2日前、リハなし、ぶっつけ本番の無謀な試みを思いついた僕はどうしてもこの歌を一緒にやりたくて、コメカ君にメールをした。快諾だった。じろう君には翌日に連絡して、それでもやっぱりふたつ返事だった。まあ、つまり、そういうことなんだ。ふたりとも僕と同じように「会いたいな、話しをしたいな、できることなら一緒になんかやりたいな」と思ってたんだろう。


DJ H&M a.k.a.はやせをはさんで、最後のステージはMilco Llama。
コメカ君のソロユニットにじろう君のギターが加わり、往年のピノリュックを彷彿とさせるテクノポップを観ることができたのは嬉しかった!
他でもない、コメカ君らしい、コメカ君ならではの音楽を鳴らすことができていたからだ。
「今度また会おうね、一緒にまたやろう」
終演後そんな話をしているときにハッチャキさんが「今度ふたりを誘うよ」と言ってくれたのできっと近いうちに現実になるかと思う。


楽しい夜だった。
うかれてしまった。
高校の修学旅行が終わった後に担任の「集合写真買う人〜」との声に、僕以外のクラスメイト全員の手があがり「え、クドウはいらないの?」と詰め寄られたあの日の事を今でも思い出す。
「集合写真なんてくだらねーものなんか、みんな何で買うんだ?」
音楽の趣味も人生の価値観も周りと共有できなかったあの頃はさっぱり理解できなかったけど、歪さんが撮影してくれた終演後の1枚を見ながらやっと理解することができた。


次の予定は3月7日にドタマカチワルドで演奏する。
カシミールナポレオンが東京から福岡に拠点を移すことを余儀なくされ、そのお別れライブを高円寺円盤で。
3月はもうひとつ、こちらはソロで、15日に狂犬の中の狂犬企画を大塚ミーツで。


もっとバカになろう。もっともっと間違っていこう。
生きててもよかった。
音楽続けててもよかったんだ。

→ライブ・フォトグラファー歪さんによる写真はこちら
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