「昨日のことのように思い出す事」が戦争の事や貧しかった日々のことであってはならないという話

今年の夏、生まれ故郷の大分に帰省した。
家族を連れて、ひとり暮らしの祖母の家に会いに。
真玉海岸ではマテ貝を、臼杵や佐賀関ではニイナ、カメノテなど東京のスーパーではなかなか手に入らないような食材を採って塩茹でにして食べた。
叔母が郷土料理のだんご汁やリュウキュウを作ってくれて、麦焼酎と一緒にいただいた。
台風が来た日は図書館で化石についての本を読み、翌日は九重・玖珠の野上層へ行った。
初めての化石掘りに挑戦し、化石は出なかったものの、死に絶えた見たことのない生物の暮らしに思いを巡らせて、なんとも言えない気持ちになった。
別府山奥の温泉に入り、火口を覗いたり、地獄蒸しを食べたりして、ナミハンミョウなどの甲虫、モンキアゲハやカラスアゲハなどの蝶、オニヤンマも捕まえることができた。
祖父の墓参りもできた。

 


そんな風に過ごしていたある日、突然祖母が怒りまくって手がつけられなくなった。
どうも知人から随分失礼な事を言われたらしい。
「この家はあなたのものではない、別の人の持ち物なんだって」
祖母はすっかり悲しくなってしまい、長年住んだ家、死ぬまで住む家がなくなるのではと不安がっていた。
しかし調べてみて驚いた。
何十年も前に亡くなった祖父が生前、祖母に迷惑かけまいと解決していた。相続がきちんとされているか曖昧な部分があったが綺麗に片付けられていた。

一方、そんなこと知らず、知人からの一言がきっかけで祖母はひとりで不安と戦っていたのだった。
そして祖母が知人から侮辱を受けたのは......なんと20年程前の出来事だった。

 

年寄りがよく話す、「昨日のことのように思い出す事」ってのがある。

人間は年をとる。もし僕も何十年後生きていたら、その時、誰かに伝えておきたい「昨日のことのように思い出す事」はいったい何だろう。

祖母の世代は戦争の事や、貧しかったこと、家族との確執や、死にたくても死にきれなかった事など悲しみでいっぱいの人生を過ごした人が大勢いる。

その事を思うと、僕は今の時代で悲しんでいられないし、出来るだけひょうきんに明るく楽しく振舞っていたい。過去から受け継いだ厄介事は、僕の代で断ち切りたい。

  

あれから数ヶ月。
東京での日々を過ごしている。

仕事をして、家族と遊んで、寝て、起きて仕事して、ライブをしている。

祖母も元気に生きていることだろう。たまには電話しないとな。

 

 祖母の足跡

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